ブラックミュージックの歴史

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 このページではR&B/ヒップホップを中心にブラックミュージックの歴史をご紹介します。

 R&Bを上手く歌う為には、例えばブルージーな歌い方、ジャジーな歌い方、ゴスペル風の歌い方、サザンソウル風の歌い方、ノーザンソウル風の歌い方、ファンキーな歌い方、ヒップホップソウル風の歌い方など、R&Bの歴史を勉強し、伝統的な歌唱法をマスターする事で本物のR&Bシンガーに近づきます。

 ヒップホップもオールドスクール風のフロウ、ニュースクール風のフロウ、Gファンク風のフロウ、ハードコアヒップホップ風のフロウ、ダーティ・サウス風のフロウ、クランク風のフロウ、トラップ風のフロウなど、ヒップホップの歴史を勉強する事は非常に大切です。

 R&Bの本場ニューヨークと言う人が多いですが、ニューヨークで誕生したのは、ヒップホップとニュージャックスウィング、ヒップホップソウルだけです。

 各ジャンルが誕生したアメリカの都市を書いていますので、アメリカの地図を参考にしてください。

黒人霊歌

 ゴスペルのルーツの黒人霊歌ですが、その黒人霊歌のルーツは、奴隷制のあった南部のサウス・カロライナ州とジョージア州、フロリダ州にまたがるシー・アイランド(シー諸島)で誕生したリング・シャウトです。

 黒人霊歌は奴隷時代のブラックミュージックを知るのに大変に貴重な資料であると同時に、現在でも歌い継がれています。

 黒人霊歌を世界に広めたフィスク・ジュビリー・シンガーズは南部のテネシー州ナッシュビルのフィスク大学の合唱部です。

 フィスク・ジュビリー・シンガーズは19世紀に、黒人も訓練をすれば白人の様にクラシックが歌えるという事がコンセプトでした。よって後のゴスペルでもクワイア(聖歌隊)はクラシックの発声法を用いるという伝統が生まれました。

 テネシー州も南部ですので、かつては奴隷制がありましたが、フィスク・ジュビリー・シンガーズは奴隷制廃止後に結成されました。

 この様にフィスク・ジュビリー・シンガーズの声と歌い方は、後のゴスペルクワイアに多大な影響を与えましたが特殊ですので、黒人霊歌は奴隷時代には、リング・シャウトの動画の様な声と歌い方で歌われていたと考えられています。

 リング・シャウト、黒人霊歌はキリスト教の宗教音楽です。

リング・シャウト

黒人霊歌

ブルース

 R&B(リズム&ブルース)のルーツのブルースは南部のミシシッピの農園で誕生しました。週末になると農夫のブルースマン達が少し北にある、地方都市として都会である同じ南部のテネシー州メンフィンスのビール・ストリートの酒場で演奏をしました。

 戦前ブルースはアコースティックギターを使い、カントリー・ブルースとも呼ばれています。

 戦前ブルースで最も有名なロバート・ジョンソンは音源は残っていますが、動画どころか2枚の写真しか残っていません。

 ロバート・ジョンソンはミシシッピ州産まれで、メンフィスで幼少期を過ごした、典型的なブルースマンでした。

 戦前ブルースの動画は、南部のテキサス州産まれの盲目のブルースマン、ブラインド・ウィリー・ジョンソンです。

 テキサス州の一部は南部だったのですが、西部としても知られていますので、以下は南部は省略します。

 その後ブルースはテキサス州でエレキギターを使ったモダン・ブルースが誕生しました。

 モダン・ブルースの動画は、モダン・ブルースを作ったテキサス州生まれのT-ボーン・ウォーカーです。T-ボーン・ウォーカーは1940年代から活躍しました。

 1950年頃、多くの南部のブルースマン達は更に都会の北部のイリノイ州シカゴに移住した事で、シカゴ・ブルースが誕生しました。シカゴ・ブルースを代表するレーベル、チェス・レコードが創立されたのが1950年でした。

 シカゴ・ブルースの動画は、シカゴ・ブルースの父と称される南部のミシシッピ州生まれのマディ・ウォーターズです。

 エレキ・ギターを使った、いわゆるシカゴ・ブルースを作ったのはマディ・ウォーターズです。

 またマディ・ウォーターズが作ったシカゴ・ブルースのバンド形態は、ロックバンドのバンド形態のルーツになりました。

 マディ・ウォーターズはチェスを代表するアーティストでもありました。

 ブルースの本場はミシシッピですが、メンフィスに近い地域には綿畑しかありません。よってブルースの本場がメンフィスというのが一般的です。シカゴはシカゴ・ブルースの本場です。

 一方でモダン・ブルースはブルースの本場メンフィスのビール・ストリートでB.B.キングを筆頭に更なる進化をしました。

 B.B.キングはミシシッピ州産まれですが、B.B.はビール・ストリート・ブルース・ボーイの略である事からも、メンフィスを代表するブルースマンだという事が解ります。そしてブルースの王様です。

 ブルースの王様の動画は、そのB.B.キングです。

戦前ブルース

モダン・ブルース

シカゴ・ブルース

ブルースの王様

ジャズ

 ジャズのルーツのラグタイムは19世紀にスコット・ジョプリンによって作られた音楽です。奴隷制が廃止になった後に西洋音楽を黒人音楽に取り入れた音楽でした。スコット・ジョプリンはテキサス州産まれです。

 ジャズは20世紀初頭に南部のルイジアナ州ニューオリンズで誕生しました。ジャズは元は黒人の音楽でラグタイムから発展し、R&B同様にブルースにもルーツがあります。

 動画はニューオリンズ・ジャズを代表する、ニューオリンズ産まれのルイ・アームストロングです。

 スウィング・ジャズはジャズですが、当時のR&Bチャートに入りました。

 動画はスウィング・ジャズと言えばこの人この曲、ワシントンD.C.産まれでニューヨークのハーレムで活躍した、デューク・エリントンの有名曲です。この曲は1942年にビルボードのR&Bチャートの前身のハーレム・ヒット・パレードが出来る前の1941年の曲ですのでチャートには入っていません。

 ジャズは、スウィング・ジャズの後にはチャーリー・パーカー等が作ったビバップ、ブルーノートが作ったハード・バップ、またマイルス・デイヴィスが作ったモード・ジャズ等がありますが、インスト主体でR&Bにはあまり関係のない音楽ですので省略します。

 ジャイブというジャンルは初期のR&Bで、ジャンプ・ブルースとも呼ばれます。しかし、ジャズマンによって作られたR&Bと言って良いですので、あえてこのジャズのジャンルに入れました。

 動画はジャンプ・ブルースと言えばこの人この曲、南部のアーカンソー出身のルイ・ジョーダンによるジャイブです。

 ルイ・ジョーダンは1940年代に活躍したR&Bのパイオニアの一人です。

ラグタイム

ニューオリンズ・ジャズ

スウィング・ジャズ

ジャイブ

ボーカル・ジャズ

 R&Bを歌う上で、ジャジャーに歌うという事になるとジャズ歌唱を知らなければいけません。

 男性ではルイ・アームストロング、ナット・キング・コールが有名です。ナット・キング・コールはジャズマンによるR&Bを真っ先に取り入れましたので、ジャズシンガーですが、R&Bシンガーでもありました。

 ナット・キング・コールは南部のアラバマ州モンゴメリー産まれです。

 女性は女性ジャズ・ボーカル御三家で知られるエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイが有名です。

 ビリー・ホリデイは北部のペンシルベニア州フィラデルフィア産まれですが、北部のメリーランド州ボルチモア育ちです。

 メリーランド州は北部ですが、歴史的に定義が複雑な州です。

 ビリー・ホリデイの歌唱法は、後に登場するネオ・ソウルに多大な影響を与えました。

ナット・キング・コール

ビリー・ホリデイ

ゴスペル

 ゴスペルは北部のイリノイ州シカゴで、元ブルースマンのトーマス・A・ドーシーによって1930年代に黒人霊歌、西洋の教会音楽、ブルースをルーツに作られた音楽です。

 トーマス・A・ドーシーのゴスペルを歌った事で有名なのはマヘリア・ジャクソンです。

 マヘリアは南部のルイジアナ州ニューオリンズ産まれですが、ゴスペルの生誕地シカゴに移住しました。

 ゴスペルの王様、シカゴ産まれのジェームス・クリーブランドは幼少の頃にトーマスの指揮の元で歌い、ゴスペルを現在知られる形に仕上げ、このスタイルは現在でも黒人教会で歌われています。

 よってゴスペルの本場はシカゴです。またはフィスク・ジュビリー・シンガーズで有名なフィスク大学のあるナッシュビルが本場だという意見もあります。

 その後にファンクやR&Bの要素を加えたコンテンポラリー・ゴスペルが、1980年代に南部のノース・カロライナ州でゴスペルの王子様、ジョン・P・キーによって作られました。

 コンテンポラリー・ゴスペルは"Oh Happy Day"で知られる、エドウィン・ホーキンスが作ったと意見が分かれますが、今で言うところのコンテンポラリー・ゴスペルのサウンドを確立したのはジョン・P・キーです。

 更に1990年代にテキサス州でコンテンポラリー・ゴスペルにヒップホップの要素を加えたアーバン・コンテンポラリー・ゴスペルが、カーク・フランクリンによって作られました。文字数の関係でアーバンと略しています。

 R&Bシンガーの殆どは教会でゴスペル経験があるので、R&Bボーカルの歌唱法のルーツとしても有名です。

 クワイアはクラシックの発声法を基礎にしていますが、黒人が歌うとファンキーです。それに対してソロは、いかにも黒人的な歌唱法でソウルフルだという事もゴスペルの特徴です。

 ゴスペルも黒人霊歌同様にキリスト教の宗教音楽です。

マヘリア・ジャクソン

ゴスペル

コンテンポラリーゴスペル

アーバン

リズム&ブルース

 リズム&ブルースというジャンル名は1949年に付けられました。

 当初はスウィング・ジャズもチャートに入り、前出のジャンプ・ブルース、通称ジャイヴというジャンルが流行りました。

 しかしジャイヴはどちらかと言えばジャズミュージシャン、ジャズシンガーによるリズム&ブルースでしたので、当サイトではジャズとして紹介しました。

 現在のリズム&ブルースの元祖と言えば、このレイ・チャールズでしょう。レイ・チャールズは南部のジョージア州の産まれで、ブルース色の強いアーティストでした。デビューしたのは1949年でした。

 R&Bとソウルは同じ音楽ジャンルですが、正確には発祥は若干違ったのですが、ジャンル的には同じと考えて良いでしょう。

レイ・チャールズ

ロックンロール

 ロックンロールやヘビメタと言うと白人の音楽だと思う人が大多数だと思いますが、まずはロックンロールは1950年代にファッツ・ドミノやチャック・ベリー、リトル・リチャードなどの黒人によって作られた音楽です。白人がそれを真似て発展させました。

 動画のチャック・ベリーは、北部のミズーリ州セントルイス産まれですが、北部のイリノイ州シカゴのチェス・レコードからデビューしました。

 ミズーリ州は北部ですが、州の一部は南部でしたので歴史的に定義が複雑な州です。

 ヘビメタも1960年代に黒人のジミ・ヘンドリックスが作った音楽でしたが、白人がそれを真似て発展させ白人の音楽として認識されています。ヘビメタと略していますが、ヘヴィメタルの略です。

 ジミ・ヘンドリックスはワシントン州シアトルで産まれましたが、当時はあまりに奇抜な音楽で本国アメリカでは理解されずに、イギリスに渡り、イギリスで成功しました。ヘビメタがイギリスで生まれたという事は有名です。

 ロックンロールもヘビメタもブルースがルーツです。

ロックンロール

ヘビメタ

ドゥーワップ

 ドゥーワップは1950年代から1960年代初頭に、主に北部の黒人のティーンの間で流行ったポップミュージックの原点の音楽です。

 ドゥーワップグループには2種類あり、スウィングジャズのコーラスグループにルーツがあるグループと、ゴスペルカルテットにルーツがあるグループです。

 動画は、男性ドゥーワップグループはニューヨークのハーレム出身のフランキー・ライモン&ザ・ティーンエイジャーズです。女性ドゥーワップグループはニューヨーク出身のザ・ロネッツです。

 もちろんニューヨークは北部ですが、以下は北部は省略します。

男性ドゥーワップグループ

女性ドゥーワップグループ

ソウルミュージックの誕生

1950年代

 ドゥーワップブームと時期は重なりますが、ソウルミュージックが登場しました。ソウルミュージックの登場でドゥーワップブームが終わったとも言えます。

 "Stand By Me"で有名なベン・E・キングの様に、それまでドゥーワップを歌っていたシンガーがソウルを歌う様になりましたので、ドゥーワップがソウルミュージックに進化したと言っても間違いではありません。

 元祖ソウルマンとして知られるサム・クックは産まれは南部のミシシッピ州ですが、育ちは北部のイリノイ州シカゴです。

 しかしシカゴがソウルミュージックの本場とはならず、南部のサザン・ソウル、北部のノーザン・ソウルという様に本場が南北に分かれます。もちろんシカゴにはブルースとロックンロール、ソウルの名門のシカゴ・ソウルを代表するレーベル、チェスがあるのですが、全体的にはブルースのレーベルでした。

 動画はサム・クックのソウルシンガーとしての1957年のデビュー曲です。

 ソウルシンガーになる前はゴスペルシンガーとして既に有名でした。

 そしてシカゴのチェス・レコードの女性ブルース/ソウルシンガー、エタ・ジェイムズの1962年のソウルナンバーです。1950年代の曲ではありませんがシカゴ・ソウルの有名曲です。エタは産まれはロサンゼルスです。

サム・クック

エタ・ジェイムズ

1960年代のサザン・ソウル(スタックス/ヴォルト)

 1960年代には南部のテネシー州メンフィスのスタックスと、メンフィスに近い南部のアラバマ州マッスル・ショールズのヴォルトがサザン・ソウルというスタイルを確立しました。スタックスとヴォルトは同系列のレーベルです。

 正式名称は、スタックス・レコード、ヴォルト・レコードです。

 知名度的にはライバルのモータウンには及びませんが、モータウンが黒人によって創立され白人に売る為だった音楽に対して、スタックスは白人によって創立され黒人に売る為の音楽で、通称ディープ・ソウルと呼ばれています。

 ソウルの王様と言えばジェームス・ブラウンか、オーティス・レディングです。

 オーティス・レディングは南部のジョージア州産まれです。

 そして誰もが認めるソウルの女王と言えばアレサ・フランクリンです。

 アレサ・フランクリンは産まれはメンフィスですが、北部のミシガン州デトロイト育ちです。

オーティス・レディング

アレサ・フランクリン

1960年代のノーザン・ソウル(モータウン)

 同じ1960年代にノーザン・ソウルを代表するレーベルと言えば北部のミシガン州デトロイトのモータウンです。

 その名はブラックミュージックファンなら知らない人はいないでしょう。

 正式名称は、モータウン・レコードです。

 モータウンはダイアナ・ロス&ザ・スプリームスに代表される様に、当初はドゥーワップ色の強いレーベルでした。

 スプリームスはミシガン州デトロイト出身のグループです。

 スティーヴィー・ワンダーはドゥーワップっぽくはありませんが、ポップ色が強いアーティストです。

 スティーヴィー・ワンダーはデトロイトではありませんがミシガン州産まれです。

 しかしその後マーヴィン・ゲイやグラディス・ナイトなどサザン・ソウルに負けないディープなソウルを歌うシンガーが活躍しました。

スプリームス

スティーヴィー・ワンダー

ファンク

 ファンク自体は1960年代に誕生した音楽ですが、1970年代に黄金期を迎えます。

 もちろんファンクと言えばジェームス・ブラウンです。ジェームス・ブラウンは南部のサウス・カロライナ州の産まれです。ジェームス・ブラウンはソウルの王様であり、ファンクの王様でもあります。

 しかしソウルと違い、ファンクはサンフランシスコのベイ・エリア・ファンクやニューオリンズ、オハイオなどアメリカ全土で、それぞれの地の特色のあるスタイルのファンクが誕生しました。

 もちろんソウルもサザン・ソウル、ノーザン・ソウル以外にもアメリカ全土に広まったのですが、ザックリ言うと1980年代になるまでは、その2種類が有名でした。

 そしてスーパー・ファンク集団のPファンクは北部のニュージャージー州のバンドです。

ジェームス・ブラウン

Pファンク

フュージョン

 フュージョンはジャズにロックやファンク、R&B、ボサノヴァ、ラテン音楽等を融合した音楽です。

 フュージョンを演り始めたのはマイルス・デイヴィス等の黒人のジャズマンですが、黒人、白人問わずに流行した音楽です。むしろ白人のアーティストが多いジャンルです。

 芸術的なジャズとは違い、ポップで心地良いサウンドです。フュージョンは1970年代以降のソウルミュージックに多大な影響を与えました。

 ブラックミュージックの歴史ですので、あえて黒人のフュージョンバンドを紹介します。

 ザ・クルセイダーズはテキサス州ヒュースト出身のバンド、スタッフはニューヨーク出身のバンドです。

ザ・クルセイダーズ

スタッフ

ニュー・ソウル

 1970年代のブラックミュージックで重要なのはダニー・ハサウェイに代表されるニューソウルというジャンルです。

 ファンク、ニュー・ソウルはその後のR&Bを大きく変えました。

 ダニー・ハサウェイは北部のイリノイ州シカゴ産まれで、北部のミズーリ州セントルイス育ちのアーティストです。

 そしていち早くニューソウルを取り入れたのは南部のノース・カロライナ州産まれのロバータ・フラックでした。

 この二人は共演アルバムも出しています。

 他にもニュー・ソウルを代表するアーティストと言えば、カーティス・メイフィールドや1970年代のマーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダー等の名が挙げられます。

 それまでのブルース色やゴスペル色の強く泥臭かったサザン・ソウルや、ドゥーワップ色やポップ色の強かったモータウンとは違い、ブルースやゴスペル、ファンクにルーツがありながらもジャズやクラシックの要素を加えたのがニュー・ソウルでした。ジャズと言ってもフュージョンの要素を取り入れたと言った方が正解かもしれません。

 それまでのラブソングが主体だったソウルミュージックとは異なり、歌詞もラブソングもありながらも社会的な内容の歌詞や、詩的な歌詞であり、またソウルミュージックを芸術にしたという意味でも革命を起こしました。

ダニー・ハサウェイ

ロバータ・フラック

1970年代のサザン・ソウル(ハイ)

 ニュー・ソウル登場後もスタックスは、1970年代ソウルを作っていたのですが1975年に倒産してしまいました。

 それに代わる形で1970年代のサザン・ソウルを代表したレーベルは、同じメンフィスのハイ・レコードでした。

 ハイ・レコードを代表するアーティストのアル・グリーンの曲は明るいですが、ハイ・レコードはアン・ピーブルスの曲に代表される様に、ブルースの本場メンフィスらしく気怠いブルージーでディープなサウンドでした。

 アル・グリーンはテネシー州の隣の南部のアーカンソー州産まれ、アン・ピーブルスは北部のミズーリ州セントルイス産まれです。

アル・グリーン

アン・ピーブルス

1970年代のノーザン・ソウル(モータウン)

 サザン・ソウルはブルージーな方向に進みましたが、まともにニュー・ソウルの影響を受けたのはモータウンでした。

 その中でもマーヴィン・ゲイとスティーヴィー・ワンダーが、1970年代にニュー・ソウルの作品をリリースしました。

 マーヴィン・ゲイも動画の曲の様に反戦歌を歌い、社会的な歌詞でしたが、歌で戦争が終わる訳ではなく、失望しラブソングに戻りました。この事で以降のR&B/ソウルミュージックは再びラブソングが殆どを占める様になりました。

 動画で取り上げたマーヴィン・ゲイはワシントンD.C.産まれです。

 スティーヴィーは重複しますので、あえて個人的に好きなグラディス・ナイト&ザ・ピップスの曲を選びました。

 ソウルの女王と言えば、アレサ・フランクリンですが、グラディス・ナイトがソウルの女王だと意見が分かれる程の名ソウルシンガーです。

 グラディス・ナイトは南部のジョージア州アトランタ産まれです。

 注意すべき点は、モータウンはデトロイトを拠点としていたレーベルですが、1972年にロサンゼルスに拠点を移しましたので、一概にノーザン・ソウルとは呼べないのですが、サウンド的にはノーザン・ソウルでしょう。

マーヴィン・ゲイ

グラディス・ナイト

1970年代のノーザン・ソウル(フィリー・ソウル)

 1970年代のソウルを語る上で欠かせないのは、北部のペンシルベニア州フィラデルフィアで誕生した、フィリー・ソウルです。

 フィリー・ソウルを作ったのは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードです。

 ザ・スリー・ディグリーズは本国アメリカはもちろん、日本でも絶大な人気がありました。動画の曲は日本語歌詞バージョンがレコーディングされた程でした。

 ザ・スリー・ディグリーズはフィラデルフィア出身のグループです。

 テディ・ペンダーグラスは、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツというフィリー・ソウルを代表するグループの出身で、日本でも人気がありました。ドリフターズが動画の曲のベースラインを使いヒゲダンスのBGMにした程でした。

 フィリー・ソウルと言えば、バラードがゴージャスで美しく、またフィリー・ソウルはディスコ・ミュージックのルーツであり、ファンキーな名曲も沢山あります。

 テディ・ペンダーグラスは南部のサウス・カロライナ州産まれです。

 ディスコはフィラデルフィアで誕生しました。

スリー・ディグリーズ

テディ・ペンダーグラス

ディスコ・ミュージック

 フィラデルフィアで生まれたディスコですが、その後ニューヨークに拠点を移し、そしてアメリカ全土、更には全世界に広まりました。

 文字数の関係でアースと略していますが、アース・ウィンド・アンド・ファイアーは動画の曲の様にディスコ・ミュージックのバンドとしても知られていますが、北部のイリノイ州シカゴのファンク・バンドです。

 一方、ディスコ・ミュージックを代表するバンド、シックはニューヨークのバンドです。

 ディスコ・ミュージックのルーツはファンク、そしてフィリー・ソウルにあります。

アース

シック

ヒップホップの誕生(オールドスクール)

 ヒップホップ・カルチャーは1970年初頭にニューヨークのサウスブロンクスの貧困の中で誕生しました。

 最初のヒップホップ/ラップの曲は動画のシュガーヒル・ギャングの曲で1979年でした。

 バックサウンドはディスコ・ミュージックで紹介したシックの"Good Times"という曲です。シックの紹介として貼った動画の曲とは別の曲です。

 当初のヒップホップはディスコ・ミュージックのサウンドに乗せてラップをしていたのです。これは意外かもしれませんが、1983年にジャズマンのハービー・ハンコックの"Rockit"という曲によって、ヒップホップ独自のサウンドが誕生しました。

 ラップ自体は今のラップとは全然違いますが、ジャズマンによるR&Bのジャイヴの時代にもありました。

 今のラップに近いラップはファンクでは1960年代からあった事はあったのですが、やはりラップはヒップホップ特有だと言えます。

 シュガーヒル・ギャングは北部のニュージャージー州出身のヒップホップグループ、ハービー・ハンコックはイリノイ州シカゴ産まれのジャズピアニストです。

 この時代はオールド・スクールと呼びます。

シュガーヒル・ギャング

ハービー・ハンコック

ヒップホップ(ミドルスクール)

 Run-D.M.C.やパブリック・エナミー等が活躍した時代は、日本独自のヒップホップの歴史の時代区分でミドルスクールと呼びます。1984年から1986年のヒップホップです。それは1987年にニュージャックスウィングが登場したからです。

 これは主にヒップホップダンスの教育で、ミドルスクールのダンスとニュージャックスウィングのダンスでは、ステップが大きく異なる為に、ダンス指導の便宜上の歴史区分です。

 ニュージャックスウィングにはラップの曲もありましたが、どちらかと言えば歌がメインのR&Bの一種でした。

 ですので、ヒップホップの音楽の歴史としては、ニュージャックスウィングの時代も、Run-D.M.C.やパブリック・エナミー等は、ヒップホップシーンの第一線で活躍していた訳ですので、ニュージャックスウィングのラップの曲も流行ったというくらいの位置付けでしょう。

 よって、ここではあえてニュースクールが誕生する前の1989年までのヒップホップを紹介します。

 またこの時代はゴールデンエイジ・ヒップホップとも呼ばれますが、それは1992年のGファンク登場前までを指します。

 Run-D.M.C.はニューヨークのクイーンズ出身のヒップホップグループ。

 パブリック・エナミーはニューヨークのロングアイランド出身のヒップホップグループです。

Run-D.M.C.

パブリック・エナミー

1980年代ソウル

 1980年代になると、それまで南部のサザン・ソウル、北部のノーザン・ソウルと南北に分かれていたソウルミュージックシーンが、ニューヨークに拠点を移します。

 もちろん全てのソウルミュージックのシンガーやミュージシャンがニューヨークに拠点を移した訳ではありません。

 1980年代を代表するソウルシンガーの一人、ルーサー・ヴァンドロスはニューヨークのマンハッタン産まれです。

 育ちはブロンクスです。

 1980年代ソウルの時代は、中流階級の黒人がマンハッタンの夜景をバックにレッドワインを飲むのがお洒落だと考えられていました。この時代頃からブラック・コンテンポラリー(現代黒人音楽)、日本では略してブラコンと呼ぶ様になりました。

 そして歌姫、ホイットニー・ヒューストンも1980年代にデビューしました。

 文字数の関係でホイットニーと略していますが、ホイットニーはニューヨークに近い北部のニュージャージー州産まれです。

ルーサー・ヴァンドロス

ホイットニー

マイケル・ジャクソン現象

 1980年代ソウルを語る上で欠かせないのはマイケル・ジャクソンの大ブレイクでしょう。

 マイケル・ジャクソンは1969年に兄弟によるバンド、ジャクソン5のリードボーカリストとしてモータウンからデビューし、ヒットを連発していました。正確には1968年に別のレーベルから2枚のシングルをリリースしていました。

 モータウンを離れてからはジャクソン5からジャクソンズとグループ名を変えて、ディスコナンバーで、やはりヒットを連発していました。もちろんマイケル・ジャクソンはリードボーカリストでした。

 そしてソロ名義のアルバムは子供の時からあったのですが、1970年代後半から本格的ソロ活動に専念し、1983年の「スリラー」のヒットで、世界中にマイケル・ジャクソン現象を起こしました。そしてポップの王様と呼ばれました。

 マイケル・ジャクソンは北部のインディアナ州産まれです。

ジャクソン5

マイケル・ジャクソン

エレクトロ・ファンク

 エレクトロ・ファンクはローランドのリズムマシン、TR-808を使って作った音楽を指します。

 真っ先にTR-808をR&Bに取り入れたのはマーヴィン・ゲイでした。

 ヒップホップではアフリカ・バンバータで、オールドスクールを代表するヒップホッパーですが、エレクトロ・ファンクの先駆け的な存在でもあります。

 どちらも1982年でした。

 1980年代の中盤にはTR-808を使わないでも、打ち込みのドラムビートや電子ドラムを使ったディスコ・ミュージックはまとめてエレクトロ・ファンクと呼ばれる様になりました。

 またシンセサイザーを使っているディスコ・ミュージックもエレクトロ・ファンクと呼ばれました。と言うよりは1980年代後半のディスコ・ミュージックは、全部エレクトロ・ファンクと呼ばれたと言って良いでしょう。

 プリンスは北部のミネソタ州ミネアポリス産まれで、ミネアポリス・サウンドを作りました。

 クライマックスはカリフォルニア州ロサンゼルス出身のガールズバンドです。

 注意点は、当時はエレクトロ・ファンクとは呼ばずに、これらの音楽は単純にディスコ・ミュージックと呼んでいました。

プリンス

クライマックス

アダルト・コンテンポラリー

 1980年代ソウルがブラック・コンテンポラリーと呼ばれたのに対して、静かなバラードやジャズ寄りの大人のR&Bです。

 単純にアダルト・コンテンポラリーと呼びますが、大人向けなロックなども含まれますので、R&B/ソウルはアーバン・アダルト・コンテンポラリーと呼ばれました。

 今で言うネオ・ソウルに当たるジャンルと言っても良いでしょう。

 アーバン・アダルト・コンテンポラリーと言えば北部のオハイオ州産まれのアニタ・ベイカーです。

 一方で、リンダ・ロンシュタットと、1970年代後半に結成されたルイジアナ州ニューオリンズ出身のファンク色の強かったR&Bバンド、ネヴィル・ブラザーズのアーロン・ネヴィルとデュエットした動画の曲は、同じアダルト・コンテンポラリーでもリンダが白人だからかソフト・ロックというジャンルでヒットしました。文字数の関係でリンダ&アーロンと略しています。

アニタ・ベイカー

リンダ&アーロン

ニュージャックスウィング

 1980年代後半に誕生し世界的に一斉を風靡した音楽は、ニューヨークのアップタウン・レコードでテディー・ライリーによって作られた、ニュージャックスウィングと呼ばれるヒップホップとR&Bを組み合わせた画期的な音楽でした。そのブームはヒップホップソウルが誕生するまで続きました。

 テディー・ライリーはニューヨークのハーレム産まれです。

 スウィングはスウィング・ジャズで知られる様に元々はジャズのリズムで、3連符の中抜きです。

 一方で、ニュージャックスウィングは、6連符のハイハットの2つ目と5つ目の音を抜いた、ジャズのスウィングを応用したビートでした。

 アップタウンの楽曲に絞っていますが、ボビー・ブラウンやシャニースなどもニュージャックスウィングを歌っていました。

 ヘヴィ・Dの曲はテディ・ライリーによって作られた曲ではないのですが、この曲によってニュージャックスウィングが世界中に披露されたと言って良い、草分け的な1987年の曲です。メンフィスのスタックスの曲を元ネタにしています。

 ヘヴィ・Dはジャマイカ産まれです。

 そのテディ・ライリーがやっていたガイというグループがニュージャックスウィングの本家です。

 ファーストアルバムからではないく、ニュージャックスウィングの完成形と言える曲をセカンドアルバムから選びました。

 リードボーカリストのアーロン・ホールのパワフルなゴスペル的な歌唱は、R&B歌唱のルーツがゴスペルという図式は以前からもありましたが、その認知度がより強くなりました。アーロン・ホールはニューヨークのブロンクス産まれです。

 ラップはヘヴィ・Dです。

ヘヴィ・D

ガイ

ヒップホップ(ニュースクール)

 ニュースクールもニューヨークで進化したヒップホップです。

 ニュースクールの幕開けは、ニューヨークのロングアイランド出身のヒップホップグループ、デ・ラ・ソウルの"Buddy"という1989年の曲でした。

 この曲にはア・トライブ・コールド・クエストやジャングル・ブラザーズ等が参加していました。

 文字数の関係でATCQと略しましたが、ア・トライブ・コールド・クエストの曲は、1990年代にニュースクールが完成したと言える曲を選びました。

 ア・トライブ・コールド・クエストはニューヨークのクイーンズ出身のヒップホップグループです。

デ・ラ・ソウル

ATCQ

ハウス

 ハウス・ミュージックは、1977年代に主にフィリー・ソウルのディスコ・ミュージックをルーツにし、北部のイリノイ州シカゴで誕生しました。

 まずは動画のカリフォルニア州サンフランシスコ出身のザ・ウェザー・ガールズの1982年のヒット曲です。

 この曲はコメディ調ですが、ハウス寄りのディスコ・ミュージックでした。

 そのザ・ウェザー・ガールズのマーサ・ウォッシュがリードボーカルを歌った、ニューヨーク出身のハウス・ミュージックのプロデューサーチームのC&Cミュージック・ファクトリーの曲が1990年に大ヒットを記録し、一気にハウスブームとなりました。文字数の関係でC&Cと略しました。ヒップホップは1980年代はラップ・ミュージックと呼ばれていたのですが、この様にハウスでもラップがあった為に、ヒップホップ/ラップというジャンル名になりました。

 PVのどこにもマーサ・ウォッシュが映っていないと思われると思いますが、PVで歌っていた女性シンガーは口パクで、実際にはマーサが歌っていたのです。

ザ・ウェザー・ガールズ

C&C

ヒップホップ・ソウル

 さて1990年代から、2000年代、2010年代までR&B/ソウルの主流のジャンルであった、ヒップホップ・ソウルを作ったのもやはり、ニュージャックスウィングを作ったニューヨークのアップタウン・レコードでした。

 初めてヒップホップ・ソウルを歌ったのはヒップホップの生誕地と同じサウスブロンクス産まれのメアリー・J.ブライジでした。それは1992年の事でした。メアリー・J.ブライジはヒップホップ・ソウルの女王として知られています。

 同時期にデビューしたのがJodeciでした。Jodeciはニューヨーク出身ではなく、南部のノース・カロライナ州出身でしたので、歌い方がまともにサザン・ソウルです。ノース・カロライナ州はコンテンポラリー・ゴスペルの生誕地ですので、ゴスペルフィーリングも強い歌い方です。

 どちらもアップタウン・レコードからデビューし、ヒップホップソウルの幕開けになりました。

 デビュー当時は、どちらもまだニュージャックスウィング色が強かったのですが、ヒップホップとソウルミュージックを見事に組み合わせました。

 ニュージャックスウィングの時代はシンガーが歌とラップの二刀流という場合は多かったのですが、ヒップホップ・ソウルの時代からシンガーは歌、ラップはラッパーという様に専門職に担当が分かれました。

 メアリー・J.はデビューアルバムのラストでラップをしていますが、ヒップホップ・ソウルが誕生した当初はニュージャックスウィングの延長線上でシンガーがラップをする事は稀にありました。しかしそれ以降はローリン・ヒルを除けば、2010年代になるまで、ラップパートはラッパーに任せ、R&Bシンガーはラップはしないという暗黙のルールがありました。

メアリー・J.ブライジ

Jodeci

Gファンク(西海岸)

 ヒップホップソウルの登場した年に、西海岸のカリフォルニア州コンプトンでドクター・ドレーによって、Gファンクが誕生しました。

 ドクター・ドレーがいたコンプトン出身の西海岸を代表するヒップホップグループ、N.W.A.は1987年にデビューしていました。N.W.A.にはドレーの他にイージー・E、アイス・キューブ等がいました。

 これによってソウルミュージックは南部と北部に分かれていましたが、ヒップホップでは東海岸のニューヨークと、西海岸のカリフォルニアに分かれました。

 GファンクのGはギャングスタの略のギャングが作ったヒップホップでした。

 尚、Gファンクというジャンル名はドクター・ドレーが、このページでも紹介したPファンクが好きだから、Gファンクというジャンル名にしたという経緯があります。

 もちろんドクター・ドレーはコンプトン産まれです。

 ドクター・ドレーの動画の曲にはデビュー前のスヌープ・ドッグも参加しています。

N.W.A.

ドクター・ドレー

ハードコアヒップホップ(東海岸)

 このハードコアヒップホップというジャンルは、ニュースクール・ヒップホップよりも前に東海岸で生まれていたのですが、一般的に有名になったのは1990年代でした。元ブギ・ダウン・プロダクションズのニューヨークのブルックリン産まれで、ブロンクス育ちのKRS・ワンを筆頭に、ニューヨークのスタテンアイランド出身のウータン・クラン等によって一躍有名になりました。

KRS・ワン

ウータン・クラン

1990年代ソウル

 1990年代は色々なR&B/ヒップホップのジャンルの音楽が生まれ、2000年代、2010年代に受け継がれました。

 1990年代ソウルの特徴はソロシンガーは少なく、ボーカルグループブームでした。

 ここではビルボードチャートで流行ったメインストリームの’90年代ソウルの紹介です。

 まずボーイズIIメンは次々に週間のビルボードチャートの連続1位記録を更新しました。

 1990年代に連続1位記録を更新したのは、ホイットニー・ヒューストン、ボーイズIIメン、マライア・キャリーですが、全てバラードでした。

 そしてボーイズIIメンの大ヒットした多くの曲は、1990年代のヒットメイカーであったベイビーフェイスが書いた曲でした。

 ボーイズIIメンはフィリー・ソウルで知られる、北部のペンシルベニア州フィラデルフィア出身のグループですが、モータウンからデビューしました。美しいハーモニーで知られていたフィリー・ソウルが復活しました。ヒップホップ世代のグループですのでヒップホップソウルも歌いますが、ドゥーワップもリバイバルし、ノーザン・ソウルの申し子的なグループです。

 ベイビーフェイスは北部のインディアナ州インディアナポリス産まれですが、この頃は南部のジョージア州アトランタに拠点を移し、相方のL.A.リードと共にLaFaceレコードというレーベルでヒットを量産していました。

 そのジョージア州アトランタ出身のR&Bグループの代表格はTLCでした。TLCはアトランタ産のヒップホップ・ソウルの代表的なグループです。

 TLCの動画の曲はLaFaceからのリリースですが、ベイビーフェイスとL.A.リードが作曲した曲ではありません。

 一時期はニューヨークに拠点を移したソウルミュージックシーンですが、1990年代から南部のジョージア州アトランタに拠点を移しました。

 ジョージア州は元祖リズム&ブルースと言って良いレイ・チャールズの出身地であり、古くはリング・シャウトの発祥地でもあります。R&B/ソウルミュージックはブラックミュージックの故郷の南部に戻ったのです。

ボーイズIIメン

TLC

ネオ・ソウル

 ネオ・ソウルを作ったディアンジェロは1994年にデビューしました。1970年代のニュー・ソウルの影響もあった音楽です。ネオ・ソウルはニュー・ソウルにヒップホップを加えた音楽だという事が、ディアンジェロに関しては言えます。

 特にディアンジェロの音楽に似ているニュー・ソウルのアーティストはカーティス・メイフィールドです。

 ディアンジェロは南部のバージニア州産まれです。

 しかし1996年にデビューしたエリカ・バドゥに関しはジャズ歌唱とヒップホップを組み合わせた全く新しい音楽でした。

 エリカ・バドゥはテキサス州ダラス産まれです。

 ネオ・ソウルは当初はニュー・クラシック・ソウル、そしてエリカ・バドゥの様な音楽はオーガニック・ソウルと呼ばれていました。

 ネオ・ソウルはもちろんヒットしたのですが、ビルボードチャートでヒットしたというよりは、グラミー賞がとにかく推したジャンルでした。

 その推しは1990年代、2000年代、2010年代まで続きました。

ディアンジェロ

エリカ・バドゥ

ダーティ・サウス

 1990年代の中盤まではヒップホップと言えば東海岸と西海岸でしたが、南部のダーティ・サウスが登場しました。

 ダーティ・サウスはジョージア州アトランタのアウトキャスト等が草分けの存在ですが、主にルイジアナ州ニューオリンズのヒップホップを指していました。これは当時の話で、今はサザン・ヒップホップの全てを指すジャンル名です。

 有名だったのは、ニューオリンズ産まれのマスター・Pが立ち上げたノー・リミット・レコードと、やはりニューオリンズのキャッシュ・マネー・レコードでした。

 動画はノー・リミットの顔と言えるミスティカルのヒット曲と、そしてキャッシュ・マネーの顔と言えるリル・ウェインと同じホット・ボーイズというグループにいたジュヴィナイルのヒット曲です。どちらもダーティです。

 どちらもルイジアナ州ニューオリンズ産まれのラッパーです。

 ミスティカルは動画の曲の頃はノー・リミットからジャイヴに移籍していました。

ミスティカル

ジュヴィナイル

クランクとクランク&B

 まずクランクというのは1990年代の中盤にブルースとサザン・ソウルの本場の南部のテネシー州メンフィスでスリー・6・マフィアによって作られたヒップホップでした。

 2000年代に入り、南部のジョージア州アトランタでリル・ジョンによってクランクとR&Bを組み合わせたクランク&Bという新しいR&Bが誕生しました。

 動画はスリー・6・マフィアの曲と、クランク&Bの女王のシアラがクランク&Bを世界的に有名にした曲です。

 スリー・6・マフィアはもちろんメンフィス出身のヒップホップグループです。

 リル・ジョンはジョージア州アトランタ産まれ、シアラはテキサス州産まれですがアトランタ出身です。

クランク

クランク&B

2000年代ソウル

 2000年代ソウルは1990年代のヒップホップ・ソウルの延長線上でした。

 文字数の関係でデスチャと略しましたが、デスティニーズ・チャイルドは1990年代の後半に4人組でデビューしていて既に人気がありましたが、2000年代に3人組になってから世界的に有名になりました。もちろんデスチャは、ビヨンセがいたグループです。

 デスティニーズ・チャイルドはテキサス州ヒューストン出身のR&Bボーカルグループでした。

 一方、男性では、やはり1990年代にデビューし、既に成功していたアッシャーが、クランク&Bを歌い一躍トップに躍り出ました。シアラの曲もアッシャーの曲も同じ2004年のリリースですが、正確にはアッシャーの方が先でした。

 アッシャーは南部のテネシー州産まれですが、10代の時に南部のジョージア州アトランタに移住し、アトランタを代表するR&Bシンガーです。

 あえてアッシャーを取り上げましたが、2000年代ソウルを代表する男性R&Bシンガーと言えば、ニーヨもその一人です。

デスチャ

アッシャー

EDM(R&B)

 エレクトロニック・ダンス・ミュージック、略してEDMでは今では白人の音楽だと思っている人も多いと思いますが、この時代は黒人の音楽でした。但し、歴史を辿るとディスコ・ミュージックをルーツにヨーロッパで発展した音楽が、アメリカに戻って来ましたので、白人の音楽と言っても間違えではありません。

 ただ当時はここでEDMとして取り上げている曲はエレクトリックと呼び、EDMとは呼びませんでした。

 2000年代後半にEDMを真っ先にR&Bに取り入れたのはクリス・ブラウンとビヨンセでした。2008年の事でした。

 クリス・ブラウンは南部のバージニア州産まれ、ビヨンセはテキサス州ヒューストン産まれです。

 これによって殆どのR&Bシンガーが次々にEDMを取り入れた作品をリリースしました。

 EDMが主流になってもヒップ・ホップソウルが無くなった訳ではなかったのですが、大きな革命でした。

クリス・ブラウン

ビヨンセ

EDM(ラップ)

 EDMを取り入れたのはR&Bの方が先だったのですが、1年後にブラック・アイド・ピーズがラップのEDMの曲をリリースしてヒットしました。

 ブラック・アイド・ピーズはカリフォルニア州ロサンゼルス出身のヒップホップグループで、1990年代後半のデビュー当時はストレートなラップのヒップホップグループでした。

 黒人のEDMのラップは少ないのですが、モータウンの創始者のベリー・ゴーディの息子と孫のラップデュオ、LMFAOが挙げられます。LMFAOもカリフォルニア州ロサンゼルスの出身です。

ブラック・アイド・ピーズ

LMFAO

ヒップホップ歌唱

 古くは1990年代のGファンクでヒップホップ独自のメロディを歌うネイト・ドッグがいたのですが、ラッパーではありませんでした。

 先駆者にはN.E.R.Dのファレル・ウィリアムスが挙げられますが、2000年代後半から次々にラッパーがヒップホップ独自のメロディを歌う様になりました。

 象徴的だったのは、南部のジョージア州アトランタ産まれで、北部のイリノイ州シカゴで育ったカニエ・ウェストです。

 ファレル・ウィリアムスは歌う時はR&B的なのに対して、カニエ・ウェストはヒップホップ独自のメロディです。

 カリブ産まれで、ニューヨーク育ちのニッキー・ミナージュは歌っている時はR&B的です。完全な二刀流です。

カニエ・ウェスト

ニッキー・ミナージュ

2010年代ソウル

 2010年代ソウルは、まずはネオ・ソウルが芸術から庶民的なR&Bになったという意味で、エル・ヴァーナーの曲を取り上げています。

 ネオ・ソウルを庶民的な音楽にしたのは、2007年にデビューしたクリセッテ・ミッチェルという前例のアーティストがいたのですが、エル・ヴァーナーのデビュー時はすっかりメインストリームのR&Bとして定着したという意味では大きな出来事でした。

 エル・ヴァーナーは、ニューヨークのブルックリン産まれですが、カリフォルニア州ロサンゼルスで育ちました。

 また2010年代を代表するR&Bシンガーと言えば、ブルーノ・マーズでしょう。

 動画の曲はイギリス産まれのマーク・ロンソン名義のディスコ・リバイバルの曲ですが、ブルーノ・マーズも共作者であり大ヒットした曲です。

 2010年代のブルーノ・マーズ自体はニーヨやクリス・ブラウン路線のヒップホップ・ソウルのアーティストでした。

 ブルーノ・マーズはハワイ州ホノルル産まれです。

エル・ヴァーナー

ブルーノ・マーズ

トラップとトラップ・ソウル

 2010年代の前半はさほど大きな変化はなかったのですが、2010年代の中盤から一気に音楽スタイルが変わります。

 それがトラップとトラップソウルです。

 トラップはメンフィスのクランクから派生した、ジョージア州アトランタで生まれたヒップホップです。

 2000年代前半から登場したのですが、2000年代のトラップはそこまで他のヒップホップと違う、または新しいという衝撃はありませんでした。

 しかし2010年代中盤頃にトラップは急速に新しい音楽へと進化しました。

 そしてその2010年代中盤に動画のミーゴスが6連符を用いたフロウでトラップを完成形にしたと言えます。

 ミーゴスはアトランタではありませんがジョージア州出身のヒップホップグループです。

 真っ先にトラップをR&Bに取り入れていたのは、ブライソン・ティラーでした。それも2010年代中盤の事でした。

 それがトラップソウルなのですが、今のR&Bはサウンド的にはトラップソウルが主流なのですが、あまりこのジャンル名は定着していません。それはブライソン・ティラーのデビューアルバムのタイトルが『トラップ・ソウル』だったという事にあるのかもしれません。トラップソウルはブライソン・ティラー固有のジャンルだという認識があるのでしょう。

 ブライソン・ティラーは北部のケンタッキー州の産まれです。ケンタッキーは北部ですが、歴史的に定義が複雑な州です。

トラップ

トラップ・ソウル

オルタナティブR&B

 2010年代初頭に確立されて、2010年代の中盤からメインストリームの音楽になったのが、オルタナティブR&Bというジャンルです。

 オルタナティブR&Bはネオ・ソウルから進化した音楽なのですが、聴いて解る様にトラップの要素が入っています。

 よってニュー・ソウルとヒップホップ、もしくはジャズ歌唱とヒップホップを組み合わせた、ネオ・ソウルというジャンル名では説明が出来なくなったのです。

 また曲によりますが、必ずしもネオ・ソウルの様にクラシック・ソウルやニュー・ソウル、ジャズの色が濃いという訳では無く、全く新しいR&Bの曲も多いです。確かにオルタナティブR&Bはネオソウルから進化した音楽ですが、一概にネオ・ソウルの延長戦ではないのです。取り上げた2曲はオルタナティブR&Bという新しいR&Bです。

 もちろんネオ・ソウルの延長線上で、クラシック・ソウルの色合いの濃いアーティストもいて、ネオ・ソウルの延長線上の曲もあります。

 また1980年代後半にデビューしたアレステッド・ディベロップメント、1990年代中盤にデビューしたフージーズ等に代表される、ファンクや往年のソウルミュージック等を取り入れた、オルタナティブ・ヒップホップという存在もありますが、オルタナティブという名称が一緒なだけで、全くの別物と考えて良いでしょう。

 オルタナティブR&Bの代表的なアーティストは、カナダ産まれのザ・ウィークエンド、ミズーリ州セントルイス産まれのシザ等が挙げられます。

 またビヨンセの妹のソランジュはオルタナティブR&Bの先駆者でした。

ザ・ウィークエンド

シザ

カントリー・ラップ

 この曲は2018年にリリースされたのですが、2019年にビルボードチャートの歴代最長記録となる19週連続1位を記録しました。

 それがリル・ナズ・Xのこの曲です。

 カントリーとヒップホップ(トラップ)を組み合わせるという画期的な曲でした。

 カントリーは白人の音楽ですので、これは意外だったのです。

 しかしカントリー・ミュージックのルーツは、イギリスの民謡と黒人のブルース、ゴスペルにあります。

 カントリー・ラップは、もちろんリル・ナズ・Xが作った音楽ですが、その後に黒人のカントリーアーティストが注目されたり、新たに出て来る様になり、ヒットしています。リル・ナズ・Xのこの曲に影響を受けた感じの曲や、まともにカントリーの曲もあります。

 古くはレイ・チャールズを筆頭にホイットニー・ヒュースト等がカントリーの曲をカバーしましたが、カントリーの曲をR&Bとしてカバーしたという位置付けでした。

 近年では黒人シンガーがカントリーを歌う事は以前よりも珍しくなく、カントリー・ポップとして流行っています。ビヨンセもカントリー・ポップの曲を出し、ヒットしました。カントリー・ポップは1970年頃に白人のカントリーアーティスト達が作ったジャンルです。

 リル・ナズ・Xは南部のジョージア州アトランタ郊外の産まれです。

リル・ナズ・X

2020年代ソウル

 2020年代はドージャ・キャットの様なトラップ・ソウル的な曲と、シザの様なオルタナティブR&Bが流行っています。

 シザ自身も売れています。取り上げたスティーブ・レイシーもオルタナティブR&Bですが、少し異色です。

 ドージャ・キャットはカリフォルニア州ロサンゼルス産まれ、スティーヴ・レイシーはカリフォルニア州コンプトン産まれです。

 特にドージャ・キャットの様にR&Bシンガーがラップをするという風潮があります。1990年代初頭までは、R&Bシンガーがラップをするというのは普通でしたが、ヒップホップソウル登場以降、シンガーは歌、ラッパーはラップと専門分野に分かれました。しかし2010年代の後半からR&Bシンガーがラップもするという事が普通になりました。

 2000年代後半のカニエ・ウェストあたりからラッパーがR&Bではないヒップホップ独自のメロディを歌う様になりましたが、R&Bシンガーがラップをするという事は珍しいかったのです。ドージャ・キャットは完全な二刀流です。

 あえてスティーヴ・レイシーの曲を挙げたのは、伝統的なソウル歌唱でもありますが、どちらかと言うとラッパーが歌った時の歌い方に似ているからです。スティーヴ・レイシーはオルタナティブR&Bのジ・インターネットというバンドのギタリスト兼ボーカリストです。バンドも新しい音楽を演っていますが、動画の曲は更に新しい音楽だと感じます。

 2010年代後半からR&Bとヒップホップが同化してきています。

 これからのR&B、そしてヒップホップはどの様に進化していくのでしょうか?

ドージャ・キャット

スティーヴ・レイシー

注目のアーティスト

 今、注目のアーティストは、このJuiicy 2xsです。まだウィキペディア等に出て来ませんので、詳しい事は解りませんが、南部のジョージア州アトランタのアーティストの様です。

Juiicy 2xs

新しいブラックミュージックが出て来たら更新します

ブラックミュージック研究所が主催する、オンライン音楽教室のTriple M music art Classでは、

Mo's "MOZ" MoことNaoya Moroの指導によって、このページで紹介しているブラックミュージックの歴史を基にした、

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詳しくは「レッスン」のページをご覧ください。

またオンラインレッスンの参考資料動画も貼っていますので、ぜひご視聴ください。

オンラインレッスン 参考資料動画