ネオ・ソウルにおけるトランペットと、そのルーツのジャズ歌唱

 まず女性におけるネオ・ソウルでは、1996年にエリカ・バドゥがジャズ歌唱とヒップホップを組み合わせました。

 それまでのネオ・ソウルは、1970年代のニュー・ソウルとヒップホップを組み合わせた音楽でしたので、これは革命的であり、後の女性のネオ・ソウルシンガーの殆どはジャズ歌唱を用いたのです。

 まずは、エリカ・バドゥの歌い方に似ているのは、ジャズのトランペットのパイオニアと言える、ビリー・ホリデイです。

 ビリー・ホリデイは1934年にデビューしました。

 デビュー当時から、シャウトと同じ原理の発声法のネイゾルのトランペットを使った歌声でしたが、当時の流行りだった、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンスもトランペットに組み合わせていました。しかし、それこそがビリー・ホリデイの歌声です。

 つまりデビュー当時から既に歌唱法が完成されていたのです。歳を重ねるにつれて、トランペットは強くなり、よりジャジーになり、そしてマウスレゾナンスも深くなり、よりブルージーになったと言えるでしょう。

 但し、確かにビリー・ホリデイはジャズにおけるトランペットのパイオニアの一人ですが、R&Bのルーツの一つのジャイヴで知られる、キャブ・キャロウェイなども1930年代からトランペットを使って歌っていましたので、あくまでジャズにおけるトランペットのパイオニアの一人という意味です。

 ビリー・ホリデイは、女性ジャズ・ボーカル御三家として知られています。

 その御三家とはエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ビリー・ホリデイです。

 三人とも黒人です。

 ビリー・ホリデイは、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーンの様に、いわゆる華やかなジャズ歌唱ではなく、ブルージーで憂鬱な歌い方で異色の存在でしたが、後のネオ・ソウルに多大な影響を与えたのです。

 ビリー・ホリデイは北部のペンシルベニア州フィラデルフィア産まれですが、北部のメリーランド州ボルチモア育ちです。

 メリーランド州は北部ですが、歴史的に定義が複雑な州です。

 音源は1946年の曲です。


ビリー・ホリデイ

 そして1996年にデビューし、ネオ・ソウルに革命を起こしたエリカ・バドゥです。

 1995年にネオ・ソウルを作ったディアンジェロの場合は、前述の様に1970年代のニュー・ソウルとヒップホップを組み合わせたのです。

 当時は全く新しい音楽で、当初はR&Bではなくヒップホップとして扱われてはいましたが、広い意味ではヒップホップはR&Bから派生した音楽ですので、ディアンジェロの音楽はR&Bの一種であった訳です。いまディアンジェロの曲を聴くと、紛れもないR&Bですが、当時はその新しい音楽スタイルに誰もが困惑したものの、ルーツはニュー・ソウルとヒップホップという、少々の無理はありながらも、広い意味ではR&Bというジャンルの枠の中にあったのです。

 ディアンジェロが作ったネオ・ソウルはサウンド的にはダニー・ハサウェイが作ったエレクリックピアノをフィーチャーしたニュー・ソウルのサウンドにヒップホップの要素を取り入れていました。

 そしてディアンジェロの歌い方は、ダニー・ハサウェイと同様に1970年代のニュー・ソウルを作った重要なアーティストである、カーティス・メイフィールドの歌唱をルーツにした歌い方です。

 以降、男性のネオ・ソウルシンガーの殆どは、カーティス・メイフィールドの歌唱法をルーツにした歌い方になりました。

 カーティス・メイフィールドは、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンス主体のシンガーで、後に紹介します。

 しかし、エリカ・バドゥの場合はジャズ歌唱を取り入れましたので、R&Bなのか、ジャズなのかが分からない全く新しい音楽だった訳です。

 ただサウンド的には、エレクトリックピアノをフィーチャーし、ダニー・ハサウェイが作った、ニュー・ソウルのサウンドにルーツがあったのです。もちろんヒップホップの要素を取り入れています。

 ニュー・ソウルとヒップホップとジャズ。いかに当時、新しい音楽スタイルだったかが解ります。

 ジャズも、1950年代のドゥーワップ、更に1940年代のR&Bまで遡れば、R&Bとの接点はありますが、それらともまた違う音楽です。

 それはエリカ・バドゥの歌い方は、エラ・フィッツジェラルドかサラ・ヴォーンの歌い方ではなく、ビリー・ホリデイに似た歌い方だからです。 よってエリカ・バドゥは、シャウトと同じ原理の発声法のネイゾルのトランペットを使って歌っています。

 以降、女性のネオ・ソウルシンガーの殆どは、ビリー・ホリデイの歌唱法をルーツにした歌い方になりました。

 エリカ・バドゥはテキサス州ダラス産まれです。

 音源は1997年の曲のライブバージョンです。


エリカ・バドゥ

 そして21世紀に入ります。

 エリカ・バドゥの後に出て来た、女性のジャズ歌唱で歌うネオ・ソウルのシンガーには、まずはこのジル・スコットの名が挙げられます。

 ジル・スコットは2000年にデビューしましたのでギリギリ20世紀にデビューしたシンガーですが、この曲は2001年に2000年にリリースしたデビューアルバムからシングルカットされました。よって21世紀の曲だと言えます。

 ジル・スコットはエリカ・バドゥ同様にジャズ歌唱で、歌声と歌い方もエリカ・バドゥに似ていますが、エリカ・バドゥと比べるとソウル寄りの歌い方です。

 エリカ・バドゥ同様に、ジル・スコットも、シャウトと同じ原理の発声法のネイゾルのトランペットを使って歌っています。

 ジル・スコットは北部のペンシルベニア州フィラデルフィア産まれです。

 動画は2000年の曲ですが、2001年にシングルカットされました。


ジル・スコット

 そして2007年にR&Bシーンに大きな異変が起こりました。

 それは、このクリセッテ・ミッチェルのデビューでした。

 それまでは、ネオ・ソウルは芸術的な音楽であり、庶民的な音楽ではなかったのです。

 しかし、クリセッテ・ミッチェルはエリカ・バドゥやジル・スコット同様にジャズ歌唱で、サウンドもネオ・ソウルですが、ネオ・ソウルではなく、メインストリームのR&Bとして扱われました。

 それが当時のR&Bシーンでは大事件だったのです。

 クリセッテ・ミッチェルも、シャウトと同じ原理の発声法のネイゾルのトランペットを使っていますが、違いは、パワフルな声のネイゾルのクライングと組み合わせているところです。

 しかしクリセッテ・ミッチェルの歌声はパワフルではありません。

 泣き声自体はこもった声ですので、そのこもった声を使っています。

 クリセッテ・ミッチェルは北部のニューヨーク産まれです。

 動画は2007年の曲です。


クリセッテ・ミッチェル

 そして、2010年代にはネオ・ソウルは、すっかり芸術から庶民的なR&Bになりました。

 ネオ・ソウルを庶民的な音楽にしたのは、前出のクリセッテ・ミッチェルからでしたが、このエル・ヴァーナーの2011年のデビュー時はネオ・ソウルは、すっかりメインストリームのR&Bとして定着したという意味では大きな出来事でした。

 エル・ヴァーナーも、シャウトと同じ原理の発声法のネイゾルのトランペットを使っていますが、パワフルな声のネイゾルのクライングと組み合わせています。

 エル・ヴァーナーの歌声はそれなりにパワフルですが、エモーショナルと言った方が適切かもしれません。

 エル・ヴァーナーは、北部のニューヨークのブルックリン産まれですが、カリフォルニア州ロサンゼルスで育ちました。

 動画は2012年の曲です。


エル・ヴァーナー

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