メンフィスを代表するアーティスト達(おまけ付き)
ブルースとサザン・ソウル、クランクの本場の南部のテネシー州メンフィスを代表するアーティストの紹介です。
まずは、ブルースをアメリカ国内はもとより世界に広めた、メンフィスを代表するブルースの父と称される作曲家として知られるW.C.ハンディです。
W.C.ハンディはメンフィスのあるテネシー州の南隣りの南部のアラバマ州産まれですが、南部のテネシー州メンフィス出身の作曲家として知られています。
動画は1922年の曲です。動画のエド・サリバン・ショーでのパフォーマンスは1949年です。
W.C.ハンディ
伝説のデルタ・ブルースの王様、ロバート・ジョンソンです。
ロバート・ジョンソンの曲の"Cross Road Blues"を題材にした『クロスロード』という1986年のアメリカの映画がある程に有名です。またこの曲はエリック・クラプトンがいたロックバンドのクリームがカバーした事でも有名です。
ロバート・ジョンソンはメンフィスのあるテネシー州の南隣りの南部のミシシッピ州産まれですが、幼少期に6年間、南部のテネシー州メンフィスで育ち、メンフィスを最北端に黒人差別の最も酷かったミシシッピ・デルタの、デルタ・ブルースの王様です。
音源は1937年の曲です。
ロバート・ジョンソン
ブルースの王様、B.B.キングです。
B.B.キングのB.B.はビール・ストリート・ブルース・ボーイの略です。
ビール・ストリートはメンフィスのダウンタウンにあるストリートで、ブルースのライブハウスが立ち並び、そして夜中にはオープンマイクというジャムセッションが行われ、ブルースを修業する場でもある、ブルースの本場です。
B.B.キングはメンフィスのあるテネシー州の南隣りの南部のミシシッピ州産まれですが、南部のテネシー州メンフィスを代表するブルースマンです。
音源は1965年の曲です。
B.B.キング
ソウルの王様、オーティス・レディングです。
オーティス・レディングはモータウンのライバルのレーベル、
そしてメンフィスを代表するソウル・レーベルの、スタックス/ヴォルトを代表するアーティストです。
スタックスはビール・ストリートのすぐ近くにあります。
スタックス/ヴォルトの有名なアーティストには、
ルーファス・トーマス
カーラ・トーマス
マーキーズ
ウィリアム・ベル
ブッカー・T&ザ・MG's
エディ・フロイド
サム&デイヴ
アルバート・キング
ジョニー・テイラー
バーケイズ
アイザック・ヘイズ
ウィルソン・ピケット
ソウル・チルドレン
ドラマティックス
ステイプル・シンガーズ
ジーン・ナイト
フレデリック・ナイト
リトル・ミルトン
エモーションズ
ルーサー・イングラム
キム・ウェストン
などが挙げられます。
他には、ホイットニー・ヒューストンのお母さんのシシー・ヒューストンがいた、スウィート・インスピレーションズなども挙げられます。
オーティス・レディングは南部のジョージア州産まれですが、南部のテネシー州メンフィスのスタックス/ヴォルトを代表する看板アーティストとして活躍し、メンフィスを代表するソウルマンです。
音源は1968年の大ヒット曲です。
オーティス・レディング
ソウルの女王、アレサ・フランクリンです。
アレサ・フランクリンはアトランティック・レコードのアーティストですが、メンフィス・ソウルを代表するアーティストとして知られています。
アレサ・フランクリンは南部のテネシー州メンフィス産まれですが、北部のミシガン州デトロイト育ちです。
全盛期のアトランティック時代に、テネシー州の南隣りの南部のアラバマ州のフェイム・スタジオでレコーディングをしていた事が有名です。
フェイム・スタジオは数多くのメンフィス・ソウルのアーティストの曲をレコーディングし、メンフィス・ソウルのスタジオとして知られています。よって一般的にはアレサ・フランクリンはメンフィス・ソウルのアーティストとして知られています。
音源は1967年の曲です。
アレサ・フランクリン
メンフィスの貴公子、アル・グリーンです。
アル・グリーンはスタックス/ヴォルト同様に、
メンフィスを代表するソウル・レーベルの、ハイ・レコードを代表するアーティストです。
ハイ・レコードの有名なアーティストには、
アン・ピーブルス
ドン・ブライアント
シル・ジョンスン
オーティス・クレイ
O.V.ライト
クワイエット・エレガンス
などが挙げられます。
アル・グリーンはメンフィスのあるテネシー州の西隣りの南部のアーカンソー州産まれですが、メンフィスの貴公子と呼ばれる、南部のテネシー州メンフィスのハイ・レコードを代表する看板アーティストとして活躍し、メンフィスを代表するシンガーです。
音源は1971年の大ヒット曲です。
アル・グリーン
1990年代にメンフィスから登場したR&Bシンガーは、このウェンディ・モートンです。
ソウルミュージックの本場メンフィス出身という事で話題になりました。そしてデビュー当時はホイットニー・ヒューストンを超える本格派のR&Bシンガーとして注目されました。
本国アメリカよりも日本で絶大な人気があったシンガーです。
ウェンディ・モートンは南部のテネシー州メンフィス産まれです。
動画は1992年の曲です。
ウェンディ・モートン
そして、ヒップホップです。
現在のヒップホップの主流のトラップは、このスリー・6・マフィアが作ったクランクから派生したヒップホップです。
スリー・6・マフィアは南部のテネシー州メンフィス出身の、メンフィスを代表するヒップホップグループです。
動画は1995年の曲を1997年にセルフリメイクしたバージョンです。
スリー・6・マフィア
21世紀に入りメンフィスで活躍したR&Bシンガーは、1970年にニュー・ソウルを作ったダニー・ハサウェイの娘であるレイラ・ハサウェイです。
実はスタックスは1976年に倒産していたのですが、2006年に新生スタックスとして復活しました。
レイラ・ハサウェイは1990年にヴァージン・レコードからデビューしていたのですが、2008年に新生スタックスからアルバムをリリースし、合計2枚のアルバムをスタックスからリリースしました。
レイラ・ハサウェイは北部のイリノイ州シカゴ産まれですが、一時期、南部のテネシー州メンフィスで活躍しました。
音源は2008年の曲です。2010年代に誕生したオルタナティブR&Bの先駆けの様な曲です。
レイラ・ハサウェイ
最近の若い人の中には、メンフィスがブラックミュージックの本場の一都市であるという事を知らない人も多くいます。
もちろん、ニューオリンズ、シカゴ、デトロイト、フィラデルフィア、アトランタなどもブラックミュージックの本場です。
ヒップホップでは、ニューヨーク、ロサンゼルス、ニューオリンズ、アトランタなどが本場です。
B.B.キングが、ブルースの王様(King of the Blues)
オーティス・レディングが、ソウルの王様(King of Soul)
アレサ・フランクリンが、ソウルの女王(Queen of Soul)
など、もしかしたら、このサイトで勝手にそう呼んでいると思われる方もいるかもしれません。
これはアメリカや日本をはじめ、世界中でそう呼ばれています。
下記のURLの英語版のウィキペディアにも、そう記されていますので、疑問を持たれた方はご確認ください。
ロバート・ジョンソンは、ロックンロールの祖父(Grandfather of Rock and Roll)と記されていますが、日本では一般的に、デルタ・ブルースの王様として知られています。
Honorific nicknames in popular music (Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Honorific_nicknames_in_popular_music
芸名にメンフィスが付く有名なアーティストは、
メンフィス・ミニー ミシシッピ産まれだが、13歳の時からメンフィスのビール・ストリートに住んでいた、1929年からレコーディングをしていた、女性ブルースアーティストの草分けの一人です。
メンフィス・スリム メンフィス産まれで、シカゴで活躍した、シカゴ・ブルースを代表するブルースピアニストです。
メンフィス・ブリーク ニューヨークのブルックリン産まれの東海岸で活躍するラッパーで、芸名にメンフィスが付いてはいますが、Making Easy Money Pimping Hoes In Styleの頭文字で、メンフィスとは関係がありません。
またアメリカでブルースの女王(Queen of the Blues)として知られる、ココ・テイラーはメンフィス産まれ、メンフィス育ちですが、結婚後にシカゴに移り住み、シカゴ・ブルースのアーティストとして活躍したブルースシンガーです。
おまけ(3曲)
私(Naoya Moro、別名Mo's "MOZ" Mo)のメンフィス関連の曲です。
1曲目はメンフィスで修行し、夏休みに一時帰国した時にレコーディングしたブルースです。
私が、エレキ・ギター、ベースを弾き、ドラムの打ち込みをした、一人多重録音の曲です。
曲名になっている、W.C.ハンディ公園というのは、前出のブルースの父として知られる作曲家、W.C.ハンディの銅像のある、ビール・ストリートの近くにある公園です。
週末ともなると黒人のストリートミュージシャン達が、その公園で野外演奏していました。そのストリートミュージシャン達にインスパイアされて作った曲です。
音源は1995年の曲です。
メンフィス仕込みのNaoya Moroのブルース
そして次の曲は、アメリカ人をはじめ多くの外国人が通う、海老名にある米兵の黒人の牧師さんのインターナショナル教会で知り合った、タミーという黒人ゴスペルシンガーに歌ってもらった私の曲です。
作詞、作曲、編曲は私で、R&Bのバラードです。
タミーは偶然にもメンフィス産まれで、意気投合しました。
音源は2019年の曲です。
メンフィス出身のシンガー、タミー
さて、誰よりもメンフィスをリスペクトしている私ですが、この曲ではメンフィスをディスっています。
メンフィスはアメリカでも最も黒人差別が酷いという事で有名な街ですが、白人以外は日本人を含む東洋人であっても、誰であっても有色人種は人種差別のターゲットなのです。
日本で、横田基地の黒人教会の日曜学校(バイブルスタディ)の黒人女性のミナ先生に「メンフィスに住んでいた」と話したところ「何でそんな怖しい所に住んでたの?」と驚かれました。
同じく日本で、R&Bデュオを組んで一緒に歌っていた、カリフォルニア州出身のレジーという黒人男性には、私がアメリカで体験した人種差別について話したところ「メンフィスはアメリカじゃない」と言われました。
メンフィスは南部で黒人の多い街ですので、よってブラックミュージックが栄えている街ですが、メンフィスに住む黒人以外の黒人にとっては、アメリカで1番行きたくない街なのでしょう。
メンフィスでは人種差別に遭い、帰国中に車の窓ガラスを割られて荷物を全部盗まれ、日本人だからとたかられたり、最低の街ですが、第二の故郷であり、愛情もこもっています。
好きさ余って憎さ100倍という事ですね。
この曲はジャンル的には、メンフィスのクランクにブルースの要素を加えた、私が作ったブルース・ラップという全く新しいジャンルのヒップホップです。
音源は2021年の曲です。
メンフィスをディスるMo's "MOZ" Mo
以上となります。
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