ブルースのマウスレゾナンスのパイオニア達
まずその名を挙げられるのは、伝説のデルタ・ブルースの王様、ロバート・ジョンソンです。
デルタ・ブルースとは、南部のテネシー州メンフィスを最北端に、黒人差別の酷かった三角地帯、ミシシッピ・デルタがあり、主にメンフィスとミシシッピ州の戦前ブルースは、デルタ・ブルースと呼ばれています。
ロバート・ジョンソンは音源は残っていますが、動画どころか2枚の写真しか残っていません。
この映画にもなった、有名な伝説の曲で、ロバート・ジョンソンは、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンス主体で歌っています。
ロバート・ジョンソンはブルースの発祥地である南部のミシシッピ州産まれで、同じく南部のテネシー州メンフィスで幼少期を過ごした、典型的なデルタ・ブルースマンです。
音源は1937年の曲です。
ロバート・ジョンソン
そしてロバート・ジョンソンよりも前に、1929年からレコーディングをしていたメンフィス・ミニーです。
メンフィス・ミニーは、パワフルな声のネイゾルのクライングに、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンスを組み合わせています。
マウスレゾナンスは、当時、女性ジャズシンガーなどをはじめ、女性シンガーの流行りの発声法でした。
メンフィス・ミニーも、ブルースの発祥地である南部のミシシッピ州産まれですが、13歳の時から同じく南部のテネシー州メンフィスのビール・ストリートに住んでいた、女性ブルースアーティストの草分けの一人です。
音源は1930年の曲です。
メンフィス・ミニー
最後は、世界で初めてブルースがレコーディングされた事で有名な、ブラインド・レモン・ジェファーソンです。
ブラインド・レモン・ジェファーソンが初めてレコーディングしたのは1925年でした。
しかし当初はブルースの音楽スタイルでゴスペルを歌っていました。もちろん1925年にはまだゴスペルは誕生していませんでしたので、今で言うところのゴスペルという意味です。当時は、それらの曲はスピリチュアルと呼ばれていました。これは日本語で言うところの黒人霊歌にあたります。
そして正確には、1926年からブルースをレコーディングする様になりました。
ブラインド・レモン・ジェファーソンは、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンス主体のシンガーですが、パワフルな声のネイゾルのクライングと組み合わせています。
ブラインド・レモン・ジェファーソンはテキサス州産まれです。
音源は1926年のブラインド・レモン・ジェファーソンのブルースマンとしてのデビュー曲です。
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