ニュー・ソウルの革命的なウィスパーと、その後のシンガー達
さて1970年にダニー・ハサウェイによりニュー・ソウルが誕生しました。
ダニー・ハサウェイは、正確には1969年にシングルデビューをしていて、既に歌唱法が完成していました。
しかしニュー・ソウルを語る上では、同じく1970年に、ニュー・ソウルの先駆け的なR&Bグループのインプレッションズからソロ・デビューして、ニュー・ソウルのアルバムをリリースした、カーティス・メイフィールドも欠かせません。
カーティス・メイフィールドの紹介は後にして、まずはダニー・ハサウェイからです。
ダニー・ハサウェイは、それまでのブルース色やゴスペル色の強く泥臭かった、サザン・ソウルのスタックス/ヴォルトや、ドゥーワップ色やポップ色の強かったノーザン・ソウルのモータウンなどとは違い、ブルースやゴスペル、ファンクにルーツがありながらも、ジャズやクラシックの要素を加えてニュー・ソウルを作りました。
ジャズというよりは、ジャズから派生したフュージョンを取り入れました。またダニー・ハサウェイはエレクトリックピアノの名手で、ニュー・ソウルと言えばエレクトリックピアノを使ったサウンドという様に、ニュー・ソウルのサウンドも確立しました。そして白人の曲もカバーするという様に画期的なアーティストだったのです。
そのサウンドは1990年代にニュー・ソウルとヒップホップを組み合わせた、ネオ・ソウルにも影響を与え、ネオ・ソウルでもエレクトリックピアノが多用されました。
また歌詞も、それまでのラブソングが主体だったソウルミュージックの歌詞とは異なり、ラブソングもありながらも社会的な内容の歌詞や、詩的な歌詞であり、革命を起こしました。
しかし、ダニー・ハサウェイは音楽的な革命だけでなく、ソウルミュージックの歌い方にも革命を起こしました。
それは、ハスキーな声のネイゾルのウィスパーボイスと、パワフルな声のネイゾルのクライングを組み合わせるという歌唱法でした。その組み合わせ自体は、1960年代から活躍をしたソロモン・バークや、そして古くはモダン・ブルースを作った、T-ボーン・ウォーカーなどの先駆者がいたのですが、聴いて解る様に、それまでのシャウトやマウスレゾナンスが主体だった、ソウルミュージックの歌声とは全く違ったのです。
ダニー・ハサウェイの場合は部分的に、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンスも使っています。
よって全体的に、新しいので、ニュー・ソウルと呼ばれた訳です。
そしてその後に、ウィスパーとクライングを組み合わせる、ソウルフルでパワフルなシンガーが次々に登場しました。
サウンドも、歌詞も、歌い方も、全てを含めて、ソウルミュージックを芸術にしたのです。
ダニー・ハサウェイは北部のイリノイ州シカゴ産まれで、北部のミズーリ州セントルイス育ちです。
ミズーリ州は北部ですが、州の一部は南部でしたので歴史的に定義が複雑な州です。
音源は1972年にダニー・ハサウェイが、白人の女性ポップシンガーであり、そして黒人のドゥーワップグループの曲や、アレサ・フランクリンの曲のソングライターとしても知られる、キャロル・キングの1971年の曲をカバーしたバージョンのライブ音源です。
尚、同年にリリースされたスタジオバージョンの方は、いち早くニュー・ソウルを取り入れた、黒人の女性ソウルシンガーのロバータ・フラックと、ダニー・ハサウェイによるデュエットでした。
ダニー・ハサウェイ
しかしながら、この歌い方は1968年にコンテンポラリー・ゴスペルが誕生した時に、ゴスペルシンガーが、ハスキーな声のネイゾルのウィスパーボイスと、パワフルな声のネイゾルのクライングを組み合わせるという事は稀にはありましたので、元はゴスペルの歌い方だったとも言えます。しかし、ゴスペルの場合はこういう歌い方の曲もあったという事に過ぎませんので、むしろダニー・ハサウェイの歌唱法がコンテンポラリー・ゴスペルのシンガー達に影響を与えたと言えるでしょう。
ゴスペルとR&Bは常に影響を与え合っていますので、新しい事は、どちらが先でも、それをどちらが真似ても、また戻って来るという様な感じの関係だと言えます。
コンテンポラリー・ゴスペルはゴスペルにR&Bの要素を取り入れた音楽ですが、R&Bはゴスペルの歌唱法がルーツですので、常に影響を与え合っているのです。
ニュー・ソウルの誕生前に、ダニー・ハサウェイの歌い方に近かった曲とは、女性がリードシンガーですが、あまりに有名なエドウィン・ホーキンスの"Oh Happy Day"です。
男性と女性の違いはあれ、女性でもウィスパーとクライングという同じ組み合わせですので、ダニー・ハサウェイに似た声です。サビのアドリブでは、がなり声のネイゾルのシャウトを使っています。
ダニー・ハサウェイが"Oh Happy Day"から影響を受けたかは不明です。
エドウィン・ホーキンスはカリフォルニア州オークランド産まれです。
音源は1968年の曲です。
エドウィン・ホーキンス・シンガーズ
そして、真っ先にその歌唱法を取り入れたのが、ダニー・ハサウェイと同時期にデビューしていた、テディ・ペンダーグラスです。
1970年からフィリー・ソウルのハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツに在籍し、シャウターとして数多くのヒット曲を歌いましたが、1975年にグループを脱退する直前からウィスパーを使う様になりました。
そして1977年にソロデビューをして、シャウトとウィスパーを使い分け、両刀使いで数多くのヒット曲を歌いました。
テディ・ペンダーグラスは、ダニー・ハサウェイと同様に、ハスキーな声のネイゾルのウィスパーボイスと、パワフルな声のネイゾルのクライングを組み合わせていますが、ダニー・ハサウェイより暗いトーンのクライングを使い、それでよりパワフルな歌唱になりました。
そしてテディ・ペンダーグラスの歌唱法の特徴は、ダニー・ハサウェイは高音はファルセット気味の声を使う事も多かったのですが、テディ・ペンダーグラスは、地声で高い音域が出せるベルティングを使っているという事です。
それにより、テディ・ペンダーグラスは熱唱系のR&Bシンガーの先駆者になりました。
そして、1980年代にテディ・ペンダーグラスと似た歌唱法の熱唱系のR&Bシンガーが沢山登場しました。
テディ・ペンダーグラスは南部のサウス・カロライナ州産まれです。
動画は1978年の曲です。
テディ・ペンダーグラス
そして1980年代です。明らかにダニー・ハサウェイやテディ・ペンダーグラスに影響を受けたというシンガー達が登場します。
まずは、ルーサー・ヴァンドロスです。ルーサー・ヴァンドロスは1981年にデビューしました。そのデビュー曲なのですが、ハスキーな声のネイゾルのウィスパーと、パワフルな声のネイゾルのクライングを組み合わせています。
ルーサー・ヴァンドロスの歌唱法の特徴は、ダニー・ハサウェイやテディ・ペンダーグラスよりもハスキーだという事です。つまりウィスパーが強いという事です。
しかし、ここで違和感を感じた方もいるかと思います。それはウィスパーは英語では「囁く」という意味だからです。そこで区別をする為に、大きな声で歌う時は、オーケストラの弦楽器の様なストリングスという別名を付けたのですが、今はあまりその名称は使っていません。
ルーサー・ヴァンドロスは北部のニューヨークのマンハッタン産まれで、育ちはブロンクスです。
動画は1981年のデビュー曲です。
ルーサー・ヴァンドロス
そして同じく、1981年にデビューしたクインシー・ジョーンズの手によってデビューしたジェームス・イングラムが登場します。
ジェームス・イングラムも、ハスキーな声のネイゾルのウィスパーと、パワフルな声のネイゾルのクライングを組み合わせていますが、ルーザー・ヴァンドロスがウィスパーが使ったのに対して、ジェームス・イングラムの歌唱法の特徴は、クライングが強く、ソウルフルでパワフルな歌唱法です。そして素晴らしい歌唱力です。
そしてジェームス・イングラムはテディ・ペンダーグラスと同様に、地声で高い音域が出せるベルティングを多用しているという事です。これはルーサー・ヴァンドロスにも言える事です。
ジェームス・イングラムは、北部のオハイオ州産まれです。
動画は1981年のデビュー曲です。
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