私の全くの喉声からミックスボイスを習得したビフォーアフター

 私は自慢ではないですが、昔は典型的な日本人特有の喉声でした。

 1995年に渡米し、音楽修行をしました。

 アメリカには1996年までいました。

 しかしブルースとサザン・ソウルの本場メンフィスでジャムセッションに参加したり、毎日が練習と勉強、研究、そしてその成果を試す修行に明け暮れ内容が濃かったです。

 一緒にジャムセッションに出ているアメリカ人の演奏から刺激を受け、どうやったらそう演奏出来るのか?と日々研究を重ねました。

 何せ私が修行していた、ブルースの聖地であるビール・ストリートのB.B.キングスの向かいの、ブルース・シティ・カフェのジャムセッションには、グラミー賞を受賞した大物アーティストが遊びがてらに、ジャムセッションに参加しに来た事もありました。

 その同じステージに立つのは半端ではない緊張とプレッシャー、そしてその為に猛勉強と猛特訓が必要でした。

 下の動画は2曲収録されています。

 1曲目の"Past Is Over"という曲はアメリカから帰国した1996年の21歳の時の声です。

 まるで旧ジャニーズの歌手の様な声でした。

 1998年に日本の有名なゴスペルクワイア出身の、日本人のゴスペルシンガーのボイストレーナーから、ミックスボイスを習いました。

 つまり、アメリカで色々な技術を学び今があるのですが、アメリカで色々な技術は得ても、所詮は日本人声の喉声だったのです。これでは何を歌ってもラップしても、所詮は日本人の声で英語で歌ったりラップしたりしているという次元からは抜けれないと悩みました。

 プロフィールに書いてある様に、確かに2000年から横田基地の黒人教会に通っていたのですが、その前の1998年から米軍基地(横田基地、座間キャンプ)の黒人教会のゴスペルワークショップに通っていました。

 ゴスペルワークショップとは言え、ディレクター(先生)はアメリカからワークショップで教えるだけの為に、わざわざ来日した本国アメリカでもそこそこ名の通った黒人の先生です。

 そして米軍基地の黒人の教会員と共に歌います。声は一緒に歌っている人の声がうつります。確かにその経験も大きかったです。黒人の参加者は40人から50人くらいいました。

 しかし私にミックスボイスの出し方を教えてくれたのは、その日本人のボイストレーナーだったのです。

 その声を活かしてゴスペルワークショップで応用し、そして2000年から横田基地の黒人教会のクワイアに参加出来るまでになり、更に喉を鍛えたのです。

 2曲目の"Home Live Party Our Hearts At"は、私が音楽教室を始めたは2003年ですので、もうボイストレーナーになって10年以上経った2015年の41歳の時の声ですが、レッスンでは毎日10年以上もミックスボイスを教えていましたので、当然、声がミックスボイスになっていて、更に黒人特有の、シャウトと同じ原理の発声法のネイゾルのトランペットを使っています。

 ぜひ、聞き比べてください。


私のミックスボイス習得のビフォーアフター

R&Bボーカルレッスン、ラップレッスン|Triple M music art Class(ブラックミュージック研究所)

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