ソウルのシャウターに影響を与えたのはロックンロールか?ゴスペルか?

 ソウルミュージックで、特にサザンソウルの場合は黒人ロックンローラーのリトル・リチャードに影響を受けたシャウターが多いです。

 一方で、ゴスペルの王様、そしてシャウターであるジェームス・クリーブランドも同時期にデビューしました。

 どちらも1950年代にデビューしています。

 ソウルシンガーの殆どは教会でゴスペル経験がありますので、ジェームス・クリーブランドに影響を受けたソウルシンガーも多いはずです。

 ここでは、どちらがソウルシンガーのシャウターに影響を与えたかという事を検証します。

 まずは黒人のロックンローラーのリトル・リチャードです。オーティス・レディングにもウィルソン・ピケットにも影響を与えたロックンローラーですので、リトル・リチャードの方が影響力があったと言えます。

 しかし、シャウトを使ったのがロックンロールが先だったか?ゴスペルが先だったか?とい聞かれれば、その問いに対する答えは、このページに貼ってある「ゴスペルのシャウトのパイオニア達」というブログ記事で紹介しています。

 ともかく、リトル・リチャードは痛快な、がなり声のネイゾルのシャウトです。そして曲も歌い方も、キャッチーである上にエネルギッシュで、なおかつ軽快でパンチが効いていて、当時の若いソウルシンガーに多大な影響力があったという事は納得が出来ます。

 リトル・リチャードは南部のジョージア州産まれです。

 動画の1曲目は1956年の曲です。


リトル・リチャード

 一方で、ゴスペルのシャウターのパイオニアに一人に挙げられるのは、ゴスペルの王様、ジェームス・クリーブランドです。

 実際にジェームス・クリーブランドが、ゴスペルのシャウターのパイオニアだったかは、後に紹介するとして、黒人教会では現代でもジェームス・クリーブランドの曲が歌われるという様に、さすがゴスペルの王様と呼ばれるだけの事はあります。

 ソウルミュージックは1957年に誕生し、1960年代からは、ソウルミュージックはブルース色とゴスペル色の強い南部のサザン・ソウルと、ポップ色が強く、当初はドゥーワップ色が強かった北部のノーザン・ソウルに別れて発展しました。

 ジェームス・クリーブランドはゴスペルの発祥地のシカゴのゴスペルアーティストで、1960年代にロサンゼルスに移住しましたが、サザン・ソウルに影響力は薄くても、ノーザン・ソウルには影響があったと考えられます。特にシカゴ・ソウルには影響があったと思われます。

 シカゴ・ソウルの代表的なシャウターの女性ソウルシンガーのエタ・ジェイムズは、デビュー前はゴスペルシンガーだったのですが、ロサンゼルス産まれで、ロサンゼルスの教会でゴスペルを経験しました。しかしそれはジェームス・クリーブランドがロサンゼルスに移住する前の話ですので、エタ・ジェイムズがジェームス・クリーブランドの影響を受けていたかは謎です。

 言える事は、黒人教会ってどんなノリなのか?と聞かれたら、貼っている動画の様なノリだと答えられます。

 ジェームス・クリーブランドは典型的な、がなり声のネイゾルのシャウトを使うシャウターでした。

 以上の事から1960年代のソウルシンガーのシャウターに影響力があったのは、リトル・リチャードの方だったと言えますが、ジェームス・クリーブランドは、それ以降のソウルシンガーやR&Bシンガーのシャウターには多大な影響力があったという事は確かでしょう。この動画を貼った曲に限らずに、前述の様に黒人教会ではジェームス・クリーブランドの曲がよく歌われているからです。

 ジェームス・クリーブランドは北部のイリノイ州シカゴ産まれです。

 動画は1975年と新しめの曲です(ゴスペルはYouTubeで資料が少ない為)。


ジェームス・クリーブランド

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