ゴスペルのマウスレゾナンスのパイオニア達

 これは非常に謎に包まれていますが、奴隷時代の黒人霊歌のルーツのリング・シャウトの時代から使われていた発声法です。

 レコーディングが残っている範囲で言えば、このバーミンガム・ジュビリー・シンガーズの1926年の曲が、まず挙げられます。

 この曲でのバーミンガム・ジュビリー・シンガーズのリードシンガーは、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンスを使っています。そしてマウスレゾナンスは暗いトーンです。

 マウスレゾナンスですので、パワフルな声のクライングと組み合わせています。クライングのトーンはそこまで暗くはなく、明るいか、暗いかといえば中間のトーンです。

 ジュビリーという名はジャンル名で、まずリング・シャウトがあり、その次に黒人霊歌、そして19世紀に南部のテネシー州ナッシュビルのフィスク・ジュビリー・シンガーズが作った音楽スタイルがジュビリーです。ゴスペルはその後の1930年代に誕生しました。

 ゴスペルの歴史を古い順に整理すると、リング・シャウト、黒人霊歌、ジュビリー、ゴスペルという順番で進化しました。

 バーミンガム・ジュビリー・シンガーズはグループ名にジュビリーが付いていますが、ゴスペル・カルテットの音楽スタイルのグループです。

 しかし、この頃はゴスペルというジャンル名が無かったのです。

 この曲は出だしからしてディープで、かなり衝撃的でした。

 バーミンガム・ジュビリー・シンガーズは南部のアラバマ州バーミンガムのグループです。

 音源は1926年の曲です。


バーミンガム・ジュビリー・シンガーズ

 それでは、元祖ジュビリー・シンガーズの、フィスク・ジュビリー・シンガーズの最も古いレコーディングの1曲です。

 なんと、この曲は1909年にレコーディングされたのです。

 この曲は最古のジュビリーの音源です。

 ジュビリーはゴスペルのルーツですので、最古のゴスペルの音源だと言えます。

 しかし、レコーディングが残っている範囲でのパイオニアですので、フィスク・ジュビリー・シンガーズがマウスレゾナンスのパイオニアという訳ではなく、奴隷時代からマウスレゾナンスは使われていたのです。元はアフリカの発声法ですので、当然と言えば当然の事です。

 この曲は有名な黒人霊歌の曲で、1860年代後半に書かれたと考えられています。

 フィスク・ジュビリー・シンガーズは、19世紀に黒人の音楽家として、初めて世界的な成功を収めたグループです。

 そしてこの曲でのフィスク・ジュビリー・シンガーズは、ジュビリーの音楽スタイルではなく、ゴスペル・カルテットの音楽スタイルで歌っています。

 前述の様に、この頃はまだゴスペルというジャンル名が無かったのです。

 19世紀にフィスク・ジュビリー・シンガーズが作った、ジュビリーというジャンルは、黒人が西洋のクラシックの発声法で黒人霊歌を歌うという音楽スタイルでした。

 この曲でのフィスク・ジュビリー・シンガーズのリードシンガーは、地声と裏声をミックスしたミックスボイス主体ですが、元はアフリカの発声法のマウスレゾナンスを組み合わせています。

 この頃は、ゴスペル・カルテットの音楽スタイルだったとは言え、ジュビリーならではの、ミックスボイス主体の歌声ですので、ミックスボイスにマウスレゾナンスを加えたという組み合わせ方です。

 ミックスボイスは暗いトーンのバリトンで、マウスレゾナンスは暗めのトーンです。

 フィスク・ジュビリー・シンガーズは南部のテネシー州ナッシュビルのグループです。

 音源は1909年にフィスク・ジュビリー・シンガーズが、有名な黒人霊歌をカバーしたバージョンです。


フィスク・ジュビリー・シンガーズ

 尚、フィスク・ジュビリー・シンガーズのジュビリーでの音楽スタイルは、

「黒人の発声法(R&B編)」のトップに動画を貼っています。

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